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MERRY PHOTO DIARY

見学 手塚治虫記念館

搭載:2016/7/16
撮影:2016/7/12
ロケ地:兵庫県宝塚市

現代オタク文化の原点となった巨匠。
漫画・アニメ界の神様の軌跡を辿りに…



アニメ・漫画のミュージアム、手塚治虫記念館に行ってきた。



誰でも知っているであろう日本を代表する漫画家、手塚治虫。
「手塚治虫」という名は彼のペンネームであり本名は「手塚治」である。



世界一の漫画好きと言っても過言ではない人物。
人生のほぼすべてを漫画に費やし、幼少期の頃から漫画を描き始めて生涯60年、死の間際まで鉛筆を置くことなく漫画を描き続けた漢の仕事人。
彼の遺した作品は少年向けから4コマ漫画まで全て合わせて全604作、原稿枚数約15万枚分と言われている。
有名な代表作「鉄腕アトム」「火の鳥」「ブラック・ジャック」、そして最後に描いた三作品「グリンゴ」「ルードウィヒ・B」「ネオファウスト」はどれも名作で革新的な作風なのでぜひ一度読んで欲しい。



彼の功績無くしては間違いなく日本にオタク文化もとい漫画・アニメ文化は生まれなかった。
例えば漫画のキャラ設定においては作品からの先駆けが多く、体が子供で頭脳が大人とかボクっ娘やツンデレなどオタク受けの良い様々な有名キャラの原点になっていたりする。



さて、御託はこのくらいにして彼の軌跡を見ていこう。



1928年11月3日生まれで幼少期の頃に兵庫県川辺郡小浜村(現在の宝塚市)に移り住み約20年の時を過ごした。
彼が漫画を描き始めたのはここ宝塚に来てからで宝塚歌劇団や街の近代的な背景に感銘を受けたからだと言われている。



漫画だけでなくアニメーションの制作にも携わっており、1961年にアニメ制作会社「手塚プロダクション」を設立し数々のヒット作を生み出した。
後に「虫プロダクション」へ改名し日本初となる30分枠アニメ「鉄腕アトム」が制作されテレビで放送された。

このとき用いられたアニメ制作にかかる制作費や製作期間を大幅に削減する手法「リミテッドアニメ」は現在のアニメ制作でも様々な改良が重ねられ取り入れられている。
これは各シーンで動かすキャラの挙動が少ない場合、体など動かさない部分はそのまま口や目など動かす部分のみの動画を作ることで 本来1秒当たり約12枚(24コマ)必要なセル画を約8枚で済ませることができる。
主に簡略化された抽象的な動作を表現するための手法なので見せ方によっては手抜きアニメだと誤解されてしまう。多用はほどほどにということである。







1942年から付けられていた昆虫日記。
幼少時から熱狂的な昆虫好きであり作品漫画でも多くの昆虫が登場している。
彼のペンネームは自身の一番好きな昆虫「オサムシ」から来ており本名「手塚治」の後ろに虫の漢字を入れて「手塚治虫」となった。
プロレビュー後、先生と呼ばれるようになってからペンネームの後ろに敬称の「氏」が付けられ、「手塚治虫 氏(てづかおさむ し)」と呼ばれることに大満足していたとか。



続いては各名作に登場した主人公の紹介をしていこう。



巨匠が生み出した名主人公。もちろん誰かお分かりだろう♪



未来の技術で造られた少年ロボット「アトム」
とても正義感の強いキャラで戦後生まれの少年たちに明るい未来を見せてくれた正義のヒーローである。



無免許の天才外科医「ブラック・ジャック」
日本初の医療漫画の主人公であり命の尊さが描かれた名作である。



漫画「ジャングル大帝」より白いライオン「レオ」
ジャングルを舞台とした人と動物の絆が描かれた名作である。



漫画「リボンの騎士」よりヒーローもといヒロイン「サファイア」
親しみのある宝塚歌劇団の演劇の影響を受けて描かれた日本漫画界初のボクっ娘キャラ。
ツンデレ、コスプレ、変身などの原点である。



以上〜♪
偉大なるマンガ界の巨匠が遺した軌跡である。