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MERRY PHOTO DIARY

参拝 赤穂大石神社

搭載:2018/1/17
撮影:2018/1/13
ロケ地:兵庫県赤穂市

遅ばせながら謹賀新年♪



赤穂大石神社。
武士を祀るパワー溢れるパワースポットよ。



西播磨もとい兵庫南西部に位置する播州赤穂(あこう)。岡山県に隣接している。
瀬戸内海のゆかりで塩が特産品である。「赤穂の塩」とか有名。



創建は明治33(1900)年と神社にしてはさほど古くない。
創建以前から元禄15(1703)年に起こった赤穂事件の筆頭となった赤穂浪士が祀られいた。
当時に創建されなかったのは江戸幕府が幅を利かせて討ち取りの功績を顕彰することができなかったから。
後に天皇が義士墓へ金幣を贈ったのを機に、政府が神社創建の許可を出し創建に至ったという。

祀られているのは赤穂浪士47人他、赤穂藩主だった浅野氏三侯(長直、長友、長矩)、 森家の7武将(可成、可隆、長可、成利、長隆、長氏、忠政)。
武人を祀っていることから武・勝・力に関するご利益は随一だよ。

ちなみに写真の義芳門は神戸の湊川神社より移築されたものだったり。



神社参道には赤穂浪士の石像が並んでいる。

赤穂事件とは、赤穂藩と吉良家の間で勃発した江戸時代を代表する事件の1つ。
発端は江戸城の松之大廊下にて吉良家の高家「吉良上野介」が赤穂藩の藩主「浅野長矩」に斬られたとして、 浅野長矩は切腹に処せられ命を落とした。
事の顛末に不服があった赤穂藩の家臣たちは家老「大石内蔵助」を中心に吉良への仇討ちを計画。
集まった47人の浪士「赤穂四十七士」は吉良邸へ討ち入り、激戦の末に元凶の「吉良上野介」を殺害した。
報告を受けた幕府は赤穂浪士46人の身柄を拘束し、浪士達に切腹を命じた。
一連の騒動は「忠義の鑑」と讃えられ、現代においても武勇伝として語り継がれている。

詳しく学びたければ題材になっているドラマや映画とかもあるので興味があれば観てみよう。



騒動の功績を讃えた浪士達の石像。
吉良家突入後、100人の家来をものともせず2時間ほどで吉良上野介を討ち取った。
討ち入りで赤穂浪士が一人も戦死しなかったあたり、精鋭ぞろいの武団だったことが伺える。



古神札納所。
御札、御守、縁起物などを納める。ゴミ入れではない。



大石家の家紋「右二つ巴紋」。



七福神が一神「恵比寿さま」。
商売繁盛でお馴染み。



手水舎。



絵馬。
受験シーズンなのか合格祈願が多い。



水みくじ。
水に浮かべると結果が出る。



拝殿。



宝物殿と石柱。



大石内蔵助の像。
蔵之介(くらのすけ)は通称であり本名は良雄(よしお/よしたか)。



お守り頂いたよ。
ご利益賜らんことを。